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刀祢 いくみさんの部屋 | 3月活動報告

『1 分の重たさ』と『待つこと』

日本の公共交通機関は、時間の正確さにおいて世界一を誇るものだと思います。
例えば、電車がたった1分遅れただけでも、ホームで状況説明と遅延を詫びる放送が流れます。
確かに、効率良く移動しようとする現代人にとって、1.分遅れただけ......でも、乗り継ぎの電車に間に合わないなどその後の予定が大きく左右されます。
これまで、電車とバスで移動することに慣れていた私にとって、いかに待ち時間が短く、かつ約束の時間にちょうど良.....く.到着できるかということは最大の関心事でした。
乗り換え案内のネットサービスを利用し、最適な電車を選ぶのが当たり前になっていました。
乗り継ぎ電車の出発まで、20分も30分も待つということは、よほど遠方へ出掛けない限り、ほぼありませんでした。
先日、研修を受けるため東京へ出掛けた時のことです。
帰りの交通経路を調べる時、村の最寄り駅から出発する最終バスに間に合うよう、経路を選びました。
駅に電車が到着するのは、バス出発時刻の7分前、但しこれを逃すと家に辿り着く手段はありません。
しかし、それより前の電車に乗るとバスの出発まで小1時間待つことになります。
きっと、電車到着が遅れたら、その分バスも待っていてくれるだろう…という希望的観測も手伝って、効率の良い方を選んだのでした。
その結果、あと少しで最終バスに乗りそびれそうになるという、冷や冷やする事態に陥ることになりました。
最寄り駅までの電車が4分遅れ、かつその電車に乗る際、東京・名古屋で過ごした数日の感覚のままICカードを使って改札を通り抜けてしまったため、精算しなければならなくなりました。
最寄り駅に到着するなり、電車から駆け下り、階段を駆け上がり、駅員さんが待つはずの改札口へ大急ぎで向かいました。
しかし、肝心の駅員さんは、駅舎の奥で掃除機をかけています。
焦る私の心とは裏腹に、こちらに気付く様子はありません。
仕方なく改札を通り抜け、バスの運転手さんに事情を話し、精算が終わるまで待っていて欲しいとお願いし、また改札へ戻りことなきを得たのでした。
バスに腰を下ろしほっと一息つき、暗闇を走る車中で自分の行動を振り返りました。
もしもの場合を考えず、自分が待つことを避けるためだけに一番効率の良い方法を選んだ、その姿勢を反省しました。
確かに不便は不便だけれど、そこで暮らす人たちは、きちんとわきまえて行動しているのだと思います。
以前、ある町で2両編成の電車に乗った時のことを思い出しました。
出発まで30分近く、電車の中で延々待ちました。
都会からやって来た私と友達は、そわそわ落ち着きませんでしたが、あたりを見渡せば、みな一様に笑顔でおしゃべりに興じていました。
その時、「ああ、地元の人たちにとってはこれが日常で、待っている.....という感覚はないのだな」と感じました。
今、自分が交通の不便な地に住んでいて、未だ待つことに抵抗があり、どうにかして避ける方法を探していることを改めて自覚しました。
今回の珍騒動を教訓に、待つことを受け入れる心を持ちたいと思ったのでした。
郷に入っては郷に従え、効率ばかりを求めるのではなく、余裕を持った行動ができるようになる環境に暮らしていると言えるでしょう。

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