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東白川村美しい村づくり委員会「集落あるもの探し」第15回 下野地区

画像:集落あるもの探し 第15回 下野地区

画像:集落地図(下野)

  • 場所:下野地区
  • 時期:2020年(令和2年)11月14日土曜日 12時から15時
  • 参加者:地区案内者1名、行政2名
  • 案内役の安江力男さん(82歳)のお宅から、鉱山跡や共同取水口へ向かいました。

写真:手づくりマップ(下野地区)

(写真) 手づくりマップ
 

写真:旧道。現在は畑の畦道となっている。

(写真) 旧道
 

写真:旧道

(写真)旧道
 

写真:用水路には取水口から引いたホースがいまも残っています。

写真:かつての刈干し場

 かつて一帯は刈干し場で、写真中央には昔の用水路があり、今もホースが通っている。これから、取水口へと向かう。
 

写真:かつてのガラ山

 川向こうには、旧道から以前の小学校へと上る石階段が現在もみられる。
 手前の平らな場所はかつて鉱石の屑の山(ガラ山)だった。
 

(川向こうの旧道は? )
 あそこの平らなところは番太(ばんた)の屋敷があって屋敷の下に旧道が通っとった。そして、あの階段を上って小学校へ行くんや。

(番太って? )
 番太は、地域で雇った警察官みたいなもんや。たとえば行き倒れの人があれば始末するとかな。

 ここには、鉱山の山があった。これなんか大きいごみやな。表面はこんなんやけど、おそらく割ると中に黄色い黄銅鉱がある。ほんとにきれいな金色やわ。

(見たことあるんですか)
 あるあるある。子どものころ、みんなそれぞれ宝物で持っとったぞ。 

写真:今もガラ山が残っている。

 平らな敷地の奥には、今もガラ山がある。
 

写真:川へ続く道

 川へ降り、川下へ数十メートル歩く先にも坑道があるらしい。
 

写真:谷沿いの旧道

 この先に下野谷があり、谷を登っていく。
 

写真:今も残る石垣(石積み)

 下野谷に出ると、かつての茶畑と桑畑が広がる。
 

写真:水車跡

 川にはかつて水車小屋と丸太橋があった。下野には水車が鉱山周辺に2つ、 墓地の上に1つ、診療所あたりの洞に2つあったと伺った。
 

○水車と丸太橋
 そこにちょこんと石があって、そこが水車の跡や。そこに水車があったんや。

(その水車で何をやってました? )
 米をついたりやな。

(この上にも田んぼがあったんですね。)
 ここの川向こうは田んぼ、半分は俺んところの土地で桑畑にしとった。今の道から、下っていって川のよどんでいるとこに橋が架かっていて、川向こうへ渡ったんや。

(あそこから渡ってたんですね。)
 薪とか、刈干しとか川向こうにあって、向こうからジャンジャンで運んだり、からぐるまをしょって登ってな、水車の横の丸木橋を渡って行ったんや。



○肩の仕事
 あそこに畑がひとつあるやらー、それから一段高くなって石垣があって、その向こうが製錬場。採った鉱石をここに集めて、溶かして、銅だけ抽出して。ここへくる全部は肩の仕事やわなー。上からも下からも。その場所をちょっと掘れば金糞(かなくそ)、鉱滓(こうさい)、がなんぼでも出てくる。一番熱量の高くなる栗の木を燃料にして、煮て、銅だけ抽出して、さっき見た屑は、これぐらいの板になって黒か灰色のような色で表面がツブツブになっていたでな。溶け出た石が。

写真:今も残る鉱滓

 川を渡り製錬場跡に着くと、そこには写真のような鉱滓が広がる。
 その密集地には草木は生えていない。
 

○昔のあそびは?  
鳥屋(とや)へ行く道やし、小鳥をオトリにする鳥を捕りにいくやら、地蜂・タカブを探しに行ったりな。この道は作業道やもんで、俺らも薪をしょったり刈干しをしょって出したんや。

写真:指でアンコウの大きさを教えてくれました。

 子どもの頃よくいたアンコウはこれくらいと教えてくれた。
 アンコウはカスミサンショウウオの異称で体長10cm程。
 

写真:谷沿いに続くかつての作業道

○作業道
こうゆう道路っていうのは人が通るもんでな、だから木馬(きんま)の道がここを通ると差支えがあるわけ、だから、谷の上を桟橋といってな橋をかけて、そうして木馬を曳いとったんや。

写真:共同取水口

 現在の共同取水口。
 

(取水口の景色は昔と変化していますか? 水の量とか? )
 変わらんな。てことは、山そのものも荒れていないし、昔のままの山やな。

写真:作業路の途中にある休憩石

○休憩石
 ところどころに こうゆう形の石が何箇所もあるやろ。

(石を置いた雰囲気があります。)
 これは荷物をしょって休む場所やな。ここまで降りてきて、ここで一服をして、そして下のほうにもそういう場所があってな。休憩を楽しみに、しょってくだっとった。

○沢塗り
 今でこそ、こういう木やけど、もとは雑木ばっかやらー、こういう谷があるわなー、こういう谷に小鳥が水を飲む場所があるわけや。沢塗りって言って、モチを木の枝に巻いてそして鳥が水飲むところに仕掛けておくと、小鳥が来てグッと捕まるわけや。

(捕まる場所はわかるんですか? )
 家の近くにもあるけど。
 こういう谷ではなく、まったくの沢やなー。大きな谷は他の獣もくるやらー、だから小鳥にとってはそういう小さい沢の方が安全やってことやなー。とくに藪が覆いかぶさっているところやな。

(モチというのはモチノキですか。)
 そうやなー。俺たち商工会が役場のところに植えたし、南北橋にも1本か2本あったな。その木の枝の皮を剥いて、そいつを水の中に浸して、木でたたいてモチのところだけ取り出して、それをぐるぐると木の枝に巻いて。人間の手には、そうくっつかんけど。

(鳥の足だとくっつくんですね。)
 そうそうそう。

(捕まえたことありますか。)
 それぞれ、子ども達は自分の場所をもっとった。捕まえた鳥は食べるよりむしろ、鳥を捕ってそれをオトリに仕上げて、それをまた山へ捕れても捕れていなくても猟にいくやらー。それぞれみんな捕る場所が違っとってなー。騒がしくてもあかんからなー。

写真:沢塗りを仕掛けていたであろう小さな沢

 こういった沢に沢塗りを仕掛けていた。住宅の近くにも仕掛ける場所があったとのこと。
 

○鳥屋(とや)
 暗いうちに、うろ覚えの道を露でベタベタになって鳥屋まで登っていったなー。鳥屋のおじさんに鳥を1羽もらって食って、そして、網に掛かるやつを捕るのを手伝って、お駄賃にまた鳥をもらってオトリにしとったなー。
 子どもの頃なんで、鳥屋まで登るのはちっともエライと思わんかったでなー。楽しみのために登ってくやっちゃで。うちからだいたい2時間近くかかったかなー。

○材木の集積所は?
 木馬で出すのは鉱山のところまでで、子どもの頃は川向こうに鉱石を運んどったもんで、橋が架かっとったんや、トロッコの。そこに材木を集めとったんやけど、そこが雨で流されてまったら終わりやらー、それからちょっと高いところから宮代の五加センターの下のところに架線を張って、そこへ材木を集めとった。

写真:休憩石

 休憩石のことを教えてもらうと、一定間隔にあることに気づく。
 背負って下りる労苦は想像できないが、この石が次への一歩の背中を押していたのだろう。
 

写真:中央の山にはかつて十九折山(つづらやま)神社があった。

 正面にみえる山には十九折山神社(つづらやまじんじゃ)があった。獅子舞や太鼓を鳴らしながら頂にある神社へ登っていた。境内には愛宕神社、稲荷神社、山神社、秋葉神社があった。
 

○集落あるもの探しを終えて(美しい村づくり委員会事務局)
 案内役の安江力男さん(82歳)の他に、熊崎すすむさん(90歳)からも2時間ほどお話を伺った。かつての風景は、山は刈干し場が広がり、診療所も田んぼで、畦には大豆が育てられ、畑のくろ(隅)には楮(こうぞ)が育てられていた。生活用水は近くの沢から木の樋で家までひいていた。冬には水が凍るため、朝は川から水を汲んで運んだ。用水路の復旧などは井普請と言われ、赤土を背中に背負った木箱で運び、修復など行っていた。神矢橋も住民により作られた。下野には豆腐屋があったが、そこは豆腐とは別に楮の皮を釜で湯がき乾かした和紙の材料をリアカーで関市まで運んでいたそうだ。帰りのリアカーには障子紙や紙などが積まれていた。白川では鮎が100匹も釣れるほどたくさん捕れるので、二人で1本の釣竿だったくらいだ。また、捨て鈎(ばり)を仕掛ければ、15本中10本もウナギが捕れたほどだ。
 今はない相生座(舞台小屋)では、青年団による発表会が行われていた。耳を傾けると、その賑わいが白川の流れにのって微かに聞こえたような気がした。

【用語解説】

○下野
 天正検地のころの戸数は13戸で、現在は20世帯。かつてはこの地で銅鉱石の採掘が行われていた。
 
○五加鉱山(下野鉱山または加茂鉱山ともいう。)
 開設は江戸時代初期と伝えられるが定かではない。明治元年6月の時点では郡上郡八幡町の平野新四郎が経営したが、その後、事業主に数回の変動があった。大正初年には下野中新田に精錬所を設けて採掘した。鉱区の範囲は五加字下ン度(しもんど)を中心に山林約23ヘクタール。銀、銅を産出した。大正7年以降は休業状態で、昭和に入り日華事変の勃発に伴い需要が高まって、昭和13年、昭和14年頃の従業員数は20人、30人を超えた。終戦と同時に操業停止となる。
 
○鉱滓(こうさい)・スラグ
 鉱石から金属を製錬する際などに、冶金対象である金属から融解によって分離した鉱石母岩の鉱物成分などを含む物質をいう。
 浮遊選鉱及び湿式製錬では、水分を中心とした泥状の物質が排出される。
 
○銅鉱石
 銀・銅を含有している。
 
○黄銅鉱
 銅・鉄・硫黄の化合物。正方晶系。
 黄金色で金属光沢がある。銅の最も主要な鉱石。
 
○沢塗り
 小鳥を捕まえる方法のひとつ。秋、木の葉が落ちる頃、山鳥が山中の沢に水を飲みにくるところを捕まえる。水溜りをつくり、その上にトリモチを塗った棒を渡し、両端に石をのせて固定する。シジュウカラ、メジロ、ヒワなど。
 
○刈干し(かりぼし)
 肥料や飼料にするために刈り取った山草で、立ち木にくくりつけて乾燥させるもの。または、炭俵などを作るために刈り取ったカヤ(萱)またはススキ(薄)。
 
○十九折山神社(つづらやまじんじゃ)
 祭神は健速須佐之男神(たけはやすさのおのかみ)・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。寛文元年(1661)9月創立。昭和35年(1960)11月、柏本神社に吸収合併され、五加神社と名称を改めた。


 

お問い合わせ先

東白川村美しい村づくり委員会事務局(総務課企画財政係内)

0574-78-3111(内線:245)

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