カテゴリメニューはこちら

菅原 唯斗さんの部屋 | 7月活動報告書

写真:山野草の会にて(寄せ植えした鉢[作品]の数々)

先日は、「山野草の会」に参加させていただき、誠にありがとうございました。
ふだんの暮らしのなかで、山野草にこれほど意識を向ける機会はなかなかありませんが、今回の会に参加させていただいたことで、改めて自然が持つ細やかな美しさ、そして目立たないながらも確かにそこにある植物たちの静かな生命力に触れることができました。

日々の忙しさのなかでつい見過ごしてしまいがちな自然の営みに目を向ける、そんな貴重な時間をいただけたことに、心から感謝しております。
「山野草」と聞くと、どこか素朴で控えめな印象があり、どちらかといえば地味な存在と思っていたところがありました。

しかし、実際に一つひとつの草花に目を近づけて、形や色、香りにじっくりと意識を向けてみると、そのたたずまいには言葉にできない凛とした魅力がありました。

静けさの中にある力強さと、見る人の心にそっと寄り添ってくれるような柔らかさ。その両方を内に秘めた山野草の姿に、思わず息をのむ瞬間が何度もありました。

会の中では、地元の方や植物に詳しい方から山野草の名前や生態、育つ環境について丁寧に教えていただきました。
そのお話を聞きながら、足元にひっそりと咲く草花の背景にある物語に思いを馳せる時間は、まるで一つの世界にそっと扉を開けて入っていくような感覚でした。
名前も知らなかった小さな花にも、それぞれに歴史があり、生きてきた証がある。そのことに気づかされたとき、自分の中の自然へのまなざしが静かに深まっていくのを感じました。

印象的だったのは、参加者の皆さんが、それぞれのやり方で草花に向き合い、観察し、感じたことを言葉にされていたことです。
声を上げて感動を表すというよりも、静かに、しかし確かに心を動かされている様子が伝わってきました。そうした姿を見ていると、植物はただ鑑賞の対象であるだけでなく、人と人とのあいだに自然な会話や共有の時間を生み出してくれる、不思議な存在なのだと感じました。
植物を介して生まれるつながり――それは、自然と人、人と人とが、ゆるやかにつながっていくような心地よい場を生み出してくれているようでした。

とりわけ、名も知らぬ草に目を留めるというその行為そのものに、大きな意味があるように思いました。
見過ごされがちな存在にこそ目を向け、じっくりと耳を澄ます姿勢は、山野草を通して得られた一つの大切な学びでもあります。
それは決して植物に限ったことではなく、私たちの暮らしの中でも応用できる、豊かな感性の在り方なのではないでしょうか。忙しい日常のなかでも、ふと足を止めて小さな存在に目を向ける心の余白を持つこと。それは、自分の感覚を取り戻すためのささやかな方法なのかもしれません。

また、会の雰囲気もとても穏やかで、参加された皆さんがそれぞれ自然体で、無理なくその場にいることができていたのがとても印象的でした。
誰かが強く引っ張るのではなく、それぞれが自分のペースで植物と向き合い、静かに時間を共有する。
そうした場のあり方そのものが、まるで山野草のように控えめで、それでいて芯の通った美しさを感じさせてくれました。

この会を通して感じたのは、植物をただ「見る」ということを超えて、「感じる」「向き合う」「気づく」といった行為がどれほど私たちの心を豊かにしてくれるかということです。

五感を開きなおし、自分の内側の感覚に静かに耳を傾ける。都市の生活ではどうしても失いがちなその時間の感覚を、今回改めて思い出すことができました。
こうした自然と触れ合う時間は、自分の暮らしのリズムを見直すきっかけにもなります。自然が持つ静けさや、繰り返される季節の循環に寄り添うことで、自分自身の内側にも新しい風が吹き込んでくるように感じました。

今後も、こうした場に身を置くことを大切にしながら、日々の暮らしにも山野草のような静かな彩りと、さりげない美しさを取り入れていけたらと思っております。

改めまして、このような豊かな時間をご一緒させていただき、本当にありがとうございました。
また次回、皆さまとお会いできることを、心より楽しみにしております。

個人のページへ戻る

活動報告書

このページをSNSに共有する

ページの先頭に戻る

文字サイズ

色の変更

閉じる