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2月の行事

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節分

 節分は、東白川村では「せつぼん」と発音することもあります。
 陽暦では2月3日または4日となり、翌日が立春ですから、ちょうど節(せつ)の分かれ目に当たります。陰暦を用いた時代は、大正月と小正月との中間にくる年が多く、閏年(うるうどし)には前年の暮れにくることもありました。陰陽道の立場から節分を1年の境にするという考え方もあるようです。
 今の東白川村では、節分の行事は、多くその当たり日に行いますが、当たり日よりも2日でも3日でも早い方がよいとして、1月の終わりの吉日を選んで行う家も僅かに残っています。
 節分は年越しの1種ということから、、いろいろと行事を行いますが、地域や家庭によってしきたりはさまざまです。
 その日になると、長さ約24cm、幅5~6cmの短冊形の紙片を用意し、その上部に鬼の面を描き、中間に点を12個(閏年の場合は13個)打ち、1番下に一筆書きの星の形を書きます。その短冊をヤドメ(黄楊(ツゲ))の枝に通し、アセボ(馬酔木(アシビ))の枝などを添えて、玄関わきや戸袋などに挿します。
 やがて夕方になると、近所の子供たちが夕闇に紛れて、この短冊をこっそり盗(と)り、友達同士で枚数を競うという風習が一部の集落に残っています。盗られた家の人たちも厄払いができるといって喜ぶのです。
 屋外には、竹竿(たけざお)の先に目籠(めかご)をつけて立てます。節分の夜には、鬼がくるという俗信がありますが、数に弱い鬼が目籠の目の数を数えているうちに夜が明けてしまうというわけです。
 その日は「節分の年取り」といって、正月の年取りと同じような膳(ぜん)部の夕食をとります。
 特に違うのは、必ず鰯(イワシ)を焼いて食べることです。主人が食べた鰯の頭は、主人が用いた箸に刺して、玄関の柱や戸袋などに挿します。これは、その臭気によって鬼が逃げるという俗信からです。
 そして、その夜は、さらに豆撒きを行います。
 なお、昔は、日没前になると古草鞋(ふるわらじ)の片方の上に胡椒(こしょう)、糠(ぬか)、髪の毛を載せ、それに火をつけて燻(くゆ)らせながら、2、3人がかりで5から600m引きずって捨てました。そのとき、道すがら「なに引く、嫁の尾引く、なにつく、鬼の骨つく」の問答を繰り返しながら行ったので、その滑稽(こっけい)なことは「見るもの臍(へそ)を撚(よ)らざるはなし」と旧東白川村誌に書いています。
 節分とは、もとは、季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬の各前日をいいました。それがいつの間にか、冬から春への変わり目である立春の前日だけをいうようになり、神社や寺院で「追儺(ついな)祭り」などの行事をしたり、家庭で豆撒きをしたりするようになったのです。

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