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河原 知子さんの部屋 | 2023年2月活動報告

2月

まだまだ寒い日が続きますが、朝晩少しづつ日が長くなり、明るくなってきました。朝起きて明るいだけで嬉しい気持ちになります。

○CATV

  • 1/2967の物語「フォークダンスの仲間になって」「吉祥の絵」
  • 満州開拓団について

「フォークダンスの仲間になって」

このお話は、作者の生き甲斐であるフォークダンスのお話です。文章も踊っているかのようにリズム良く、作者の踊る喜びが伝わってきます。作者のわくわくした様子が、ご家族やまわりに広がって、笑いの絶えないあたたかな空気を感じるお話でした。
私の生き甲斐は織りや絵など一人で自分と向き合う作業が多いのですが、作者のフォークダンスのような、周りの人と手を取り合い、笑いあって楽しむ趣味があったら素敵だなあと思いました。

「吉祥の絵」

これは日本画家として活躍する作者の、絵を描く時の心の動きや発見を書いたお話です。絵を描く合間に、散歩をして村の豊かな自然を五感で感じる様子がとても気持ちがよさそうで、このお話を読んで私も暖かくなったらお散歩に行きたいなと思いました。
このお話は絵を描くときの心得、と言うよりも、幸せに生きるためのコツが書かれています。心の持ちようで、生き方は変わってくると言う作者の信念が伝わってきて、作風のストイックさの理由が垣間見えました。

▼満州開拓団について

1/2967の物語の制作のため、よく白寿を読むのですが、その中で満州開拓団という単語をよく目にします。

仕事でお世話になっている方とお話しすると、時折「子供の頃満州にいた」と言われることがあります。そういったとき、是非お話を伺ってみたいと思いつつも、軽々しく触れてはいけないような気がして「そうなんですね、遠いところにいってらっしゃったんですね…」としか言えませんでした。

東白川村では満州開拓団の記録を村史や白寿に残しています。
当時大人だった方のほとんどがもうご存命ではないため、もう今ある以上の情報は出てこないかもしれません。
しかし、とても有り難い事に、私はこの村の満州開拓団の方の個人の手記を読ませていただいたことがあります。
ただ自分と家族のために書かれたその手記には、純粋に家族を思う気持ちやその当時の辛さ、悲しさ、形容しがたい恨みと感謝の入り混じった複雑な想いなどが記されており、公的なものには無い生々しさがありました。

このまま、こう言った小さな記録は消えていってしまうのか、残して後世に伝えていくべきなのか、それとも残すことで誰かを傷つけてしまうのか。
それでも、未来の誰かのために残さなくてはいけないのではないかと、私は感じます。

今生きている私たちは何をすべきなのか。何が正しいのかは分かりません。それも時代によって変化します。
分からないからこそ、未来の人類にも考えてもらう。今資料にして残すことで、自分達以外の誰かに託すことが出来るのではないでしょうか。

今後、少しずつお話を聴きに行けたらと思います。

○地域おこし協力隊

・クレイシ棚田

しばらく使われていなかったクレイシ棚田を、村内在住のミュージシャン長谷川さんが耕し始めたと聞き、見学に行きました。私は観光で棚田を見たことはありましたが、今から畦塗り、田起こしをする、という状態の棚田を見たことがありませんでした。
整備する前の田圃は、少しの間放置されていただけでどことなくうらぶれた雰囲気になっていて、田畑を維持管理する大変さが伝わってきました。長谷川さんご夫妻は機械を使わずくわで作業をしており、あせらず毎日ちょっとずつ進めていくと話されました。農業は全身運動になるそうで、長谷川さんは棚田を管理し始めてから良く眠れるようになり、体の調子が良いそうです。棚田では長谷川さんが飼っている縄文柴(古代の特徴を残した柴犬)が走り回り、ちょっと昔にタイムスリップした気持ちになりました。

日本では縄文時代の終わり頃、既に稲作が行われていたようです。
二千年前からほんの百年前まで、道具の進歩はあったにせよやり方は大きく変わらず、ずっと人力と動物の力で米作りをしていたのだと考えると、現代とのギャップと変化のスピードにちょっとくらっとしました。

興味のある方は是非クレイシ棚田に足を運んでみてください。私も時間を見つけて手伝いに行こうと思います。

○織

  • 新潟、小千谷縮工房見学(小千谷市総合産業会館サンプラザ・織元おだきん)、 十日町博物館見学
  • 京都、染織アトリエ見学(冨田潤染織工房)
  • 神戸、展示会(ギャラリー:塩屋yamne)打ち合わせ

小千谷市総合産業会館サンプラザ
織元おだきん
十日町博物館見学

新潟県小千谷市、十日町は昔から織物の盛んな地域で、小千谷縮(おぢやちぢみ)と越後上布(えちごじょうふ)はユネスコ無形文化財に登録されています。
新潟では江戸時代頃まで、米の生産以上に越後上布の原料である苧麻(ちょま)の生産を重視し、結婚の際も男女共に容色よりも男性なら苧麻を上手に育てられるか、女性なら糸作り、機織りが上手かが基準でした。それくらい、織物が大事な収入源であったことがわかります。織物は、一年の半分が雪で埋る豪雪地帯の冬の仕事として、この土地の人々の生活を支えてきました。

小千谷市総合産業会館サンプラザと織元おだきんで小千谷縮や越後上布を見学し、髪の毛より細いと言われる極細の糸で織られたその高い技術に感動を通り越して恐怖を感じました。

次の日、十日町博物館へ見学に行きました。この博物館は縄文時代と火焔型土器のクニ・織物の歴史・雪と信濃川の三つに分かれて展示がされています。
国宝にも指定されている火焔型土器群、細やかな上布の着物、積雪2メートルを超える豪雪地帯を支える家と文化、全てがダイナミックで圧倒されました。土地、環境、人、文化、それら全てがつながりあっていることが、歴史をさかのぼることで見えてきました。

 
冨田潤染織工房

京都の嵯峨越畑(さが こしはた)という所で茅葺屋根の家に住みながら染織作家として活動されている冨田潤さんの工房に見学に行きました。

嵯峨越畑は東白川村以上に山奥にあり、行くまでに熊が出てくるような山道を一時間ほど走りました。嵯峨越畑は棚田と茅葺の家々が残る、京都の中でも秘境のような場所です。

冨田潤さんは国内外で展示会を開催され、世界中にファンがいるような方なのですが、暮らしぶりはとても質素でした。築150年以上の古民家を直しながら畑を耕し、機を織る生活をなさっておられ、私もこういった生活が出来るよう頑張りたいと思いました。とりあえず東白川村の棚田を耕す手伝いをします。


塩屋yamne
来年1月、神戸の塩屋にある「yamne」さんというギャラリーで展示会をさせていただくことになり、その打ち合わせに行きました。
yamneさんのある塩屋という町は、もともと漁村だったところで、山の上には外国人居住地があります。曲がりくねった迷路のような坂道がぐるぐると張り巡らされ、歩いているとわくわくします。

あちらこちらに昭和の面影が残る町を登りきったところにyamneさんはあります。ギャラリーの外観は、まるで子供の頃遊びに行った友達のうちのようです。中に入ると、窓から入る光がとてもきれいで、どこか懐かしい空気が漂っていました。
展示会とは、物語を上映する劇場に似ています。
塩谷と言う町で、どんな物語を紡ごうか、どんな作品を作ろうかわくわくしてきました。

今月はなんだか古代と近代と現代、北と南を行き来する月でした。
遠くに行ったり近くに行ったり、たくさんの人と話したりすることで、自然と進むべき道が見えてくることがありました。悩む時もありますが、少しづつ進んで行こうと思います。

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