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12月の行事

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門松迎え

 正月を迎える準備の中で、門松迎えは大きな仕事の1つです。東白川村では門松のことを「お松っつぁま」というので、門松迎えのことを「お松迎え」などともいいます。
 門松は、12月13日に迎えるのが昔のしきたりでした。今はかなり押し詰まってから、吉日を選んで行う人が少なくありません。
 また、山へ饌米や神酒(みき)を携えて入り、それを供えて拝礼をした後に門松を迎えるしきたりもありましたが、今はほとんど見られません。
 門松は高さや太さなどが適当で、枝が3段または5段になった若松2本と、同様のソヨゴ2本を切って1組とします。ソヨゴは常盤木(ときわぎ)で、1年中青々として盛木であるところから「おふくら」「福良柴(ふくらしば)」などといって縁起の良いものとされますが、一方、本来は榊(サカキ)を用いるのが、それが少ないので代わりにソヨゴを用いるようになったという説もあります。松は松毬(まつかさ)のついたもの、ソヨゴは赤い実の生(な)ったものがよしとされ、それに松または栗の若木の杭(くい)2本を加えて一対の門松となります。
 明治14年(1881)、岐阜県令によって「門松は芯(しん)松を禁じ、枝松にすべし」という通達があって、東白川村でも芯松を用いないで、枝松を用いることが多くなりました。けれども、門松は正月を飾る中心であることから、芯松の使用は絶えることがありませんでした。
 やがて、太平洋戦争末期ごろから、山林資源愛護のため、すべての人が、松は枝を用いるようになり、昭和30年(1955)からは県や森林関係団体の提唱で、門松は全面的に禁止され、その代わりに門松を印刷したカードが配られて、家々の門口の柱などに貼られるようになりました。そのため、山から迎える門松はすっかり姿を消し、「門松迎え」の行事も必要がなくなりました。
 時の経過とともに、最近になって、再び門松が見直され、松の枝を飾る家や、芯松をもって門松を立てる家が多くなりました。それにともない「門松迎え」の行事が復活しました。しかし、一旦中断した行事は完全に元に復することはむずかしく、林道が縦横に走ったこととも関連して、トラックで山仕事に行ったついでに門松を迎えてくる人も多くなり、本来のしきたりは年と共にすたれていくようです。
 さて、門松を迎えるときは、同時に「かどばやし」に用いる長さ30から50cmぐらいの榊の枝を、必要な本数だけ整えます。榊がない場合は代わりにソヨゴを用います。また、花餅をつくるカツウルシ(捩木(ネジキ))、シデなどの台木を2から3本切ってきます。
 迎えてきた門松などは、前夜のうちに準備した縄で括(くく)り、家の近くの清浄なところに神酒、大豆、柿、田作りなどを供えて、門松を立てるときまで、一時安置します。
 昔は、門松迎えの作業をした人には、後で吸い物の特別膳(ぜん)で労をねぎらいました。

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