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東白川村の文化財

無形民族文化財

子護(こまもり)神社の神楽獅子(かぐらじし)

神楽獅子の舞い姿

指定番号 東白川村指定無形民族文化財第1号
指定年月日 昭和51年(1976)6月1日

保持団体 子護神社神楽獅子保存会
内容
種別
道行き
雌獅子の舞4種類6曲目
宮入り おかざきばやし
下(さか)り波(は)
おかざきばやし(再)
前夜祭 かやの舞(唄入り)
剣(つるぎ)の舞(唄入り)
本祭 かやの舞(再)
幣(へい)の舞
編成 獅子頭 2(雌獅子1、雄獅子1)
横笛 6
大太鼓 1
小太鼓 1
連中 12人
 獅子(しし)舞は、東白川村の数少ない郷土芸能として、昔は各地区で演じられた。中でも、越原大明神(おつぱらだいみょうじん)地区の子護(こまもり)神社に伝わる神楽獅子は、最も古い伝統を誇るものとして現在に続いている。

 この神楽獅子は、享保11年(1726)子護社子安大明神の祭礼に、苗木藩主の要請で津島から真野門之太夫を招いて神楽を奉納したことに始まる。舞の系統は、東三河系で、その種類は、標記のとおり4種類からなる。

 獅子頭(かしら)は、雄獅子、雌獅子(嫁獅子ともいう。)の2とおりあり、普通は、やや小型で優しさのある雌獅子の頭(かしら)を用いる。かや(油丹(ゆたん))は、牡丹(ぼたん)の花柄の布を縫い合わせて作る。

 首筋に4条の紅白の縞(しま)を配し、背筋にかけて一幅の赤い布をあしらうのが特徴である。

 囃子(はやし)の笛は、女竹で作った7つ孔(あな)の横笛で、吹くときに、その孔を指でふさいだり、開いたりすることにより優雅で寂のある音色がでる。

 太鼓は、胴が短くて平たい形の締め太鼓と俗に味噌太鼓といわれる味噌桶状の細長いものを用いる。

 祭礼の当日は、若連中が黒紋付の着流し姿に鳥追い笠(かさ)を被って勢揃いし、神楽輿(こし)を担いで、笛と太鼓の軽快なリズムに乗って“道行き”を演じながら、獅子を先頭に参道へ繰り込む。やがて祭礼の開始の先触れとして、獅子は、1の鳥居から拝殿まで“宮入り”する。拝殿では神事に先立って、まずあととりを付けた“かやの舞”を奉納し、続いて独り舞の“弊の舞”を奉納する。前夜祭にはこの舞が“剣の舞”にかわる。

 “弊の舞”は、獅子が左手に弊を持ち、右手に鈴を持って舞うもので、笛と太鼓に唄や囃子も加わって格調高いものである。また“剣の舞”は、悪魔払いの舞ともいわれ、剣を振りかざして舞う闊達(かつたつ)で素朴なものである。

 伝承芸能の保存やその後継者の育成には多大な困難がつきまとうが、地元大明神地区では、昭和42年(1967)11月、村の明治100年記念大会出演を機に「子護神社神楽獅子保存会」を結成し、この維持保存につとめている。

 なお、昭和52年(1977)9月10日美濃加茂市中濃体育館で開かれた第7回岐阜県民俗芸能大会には、「古調郡上(ぐじょう)踊り」、「今須の太鼓踊り」、「池田町の獅子舞」、「古川の般若(はんにゃ)踊り」、「美濃加茂おどり」など各地の民俗芸能とともに出演し、喝采(かっさい)を博した。
子護神社
子護神社概要
●祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
●例祭 春祭り(本祭り) 4月29日
夏祭り 8日1日
秋祭り 11月23日
●由緒沿革 発祥は、往古からこの地に伝わる「銭神岩(ぜにかみいわ)」の伝説によるといわれる。
享保6年(1721)11月、ときの苗木藩主遠山友由は、この神徳を崇敬し、越原村庄屋源右衛門に命じて、御立山の良材をもって社殿を再興し、銭神岩に祀(まつ)る祭神をここに遷座して「子護社子安大明神」と号した。
明治元年(1868)11月、藩命により「子護神社」と改称した。
昭和8年(1933)5月、内務省指令第7号をもって村社に昇格した。
昭和21年(1946)6月、宗教法人となる。
保存会連中 (平成13年11月現在)
保存会連中
会長 安江定二
副会長 安江英樹
庶務会計 安江一成
安江英樹、三戸行美、安江久光、島倉秀範、安江規
太鼓 安江浩、田口二士夫、安江誠
安江定二、安江巖、安江一成、安江秀利

※クリックで写真を拡大いたします。

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