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東白川村の文化財

国指定記念物

越原(おっぱら)ハナノキ自生地(国指定天然記念物)

越原ハナノキ自生地

指定番号 内務省告示第270号
指定年月日 大正11年(1922)10月12日

所在地 東白川村越原字松尾1907番2ほか
所有者 東白川村ほか

形状等
地目、筆数 山林 3筆
地積 17,260平方メートル
 越原ハナノキ自生地は、東白川村越原字松尾の一角、穴沢(あなさわ)谷の源となる標高700メートルの山地で、その面積は、約17.000平方メートルに及ぶ。

 ハナノキは、アカマツ、コシアブラ、カエデ類、ツガ、モミ等と共にオオミズゴケ型の湿地を中心に生育している。このあたりは、ハナノキ自生地分布の北限といわれる。

 ハナノキ(Acer pycnanthum K.KOCH)は、カエデ科の一種で、分布が中部地方の小区域(岐阜県東南部、長野県西南部、愛知県北部など)に限られ、近縁種がアメリカ東海岸地方に分布するのみという特異性によって広く知られる。

 岐阜県では、東濃や加茂郡に多く自生し、天然記念物として指定されているものも多い。ちなみに、越原ハナノキ自生地の指定と同時期までに国から指定されたものを掲げると次のようである。
坂本(さかもと)のハナノキ自生地
坂本のハナノキ自生地概要
面積 2,720平方メートル
所在地 中津川市千旦林
指定 大正7年(1918)7月17日
 日本で最初の指定である。
釜戸(かまど)ハナノキ自生地
釜戸ハナノキ自生地概要
面積 1,593平方メートル
所在地 瑞浪市釜戸町神徳
指定 大正11年(1922)10月12日
同町町屋にある天猷寺の山門は、天保6年(1835)、この自生地から切り出されたハナノキ材で建造されており、花の木門と呼ばれる。
富田(とみた)ハナノキ自生地
富田ハナノキ自生地概要
面積 1,000平方メートル
所在地 恵那郡岩村町富田
指定 大正11年10月12日
 なお、その後昭和18年(1943)2月19日、土岐市泉町大富の白山(はくさん)神社のハナノキが国の指定となった。このハナノキは、周囲5メートル余。幹に大きな空洞があるという。

 また、ハナノキは、昭和55年(1980)9月20日東白川村告示第38号により東白川村の木に指定された。更に近くは愛知県の県木にも指定されている。

 ハナノキの樹高の最も高いものは、長野県阿南町新木の雌(め)木で27メートルに達するという。普通は、途中で大枝に分かれ、樹幹が上まで貫くものが少ない。

 冬芽は、ほぼ卵形で、りん片は、4対くらいである。葉は、1つの芽から次々に数対開き、出はじめは茶褐色だが、やがて浅い緑色になり、秋には1株ごとに異なった紅葉を見せる。

 雌雄異株で4月下旬から5月上旬にかけ若葉に先立って真紅の花が咲き、美観を呈する。果実には翼があり、風にひらひらと舞い落ちる。

 遠くから花盛りが紅く見えるので「花の木」の名が付いたという。

 ハナノキは、別名をハナカエデ、ベニカエデ、アカモミジ、メグスリノキなどという。メグスリノキの名は、樹皮と葉を煎(せん)じて目薬としたことから付いたものである。また、俗称を目洗いの木ともいう。

※クリックで写真を拡大いたします。

公文書に見る「越原ハナノキ自生地」が天然記念物に指定されるまでの経緯
公文書に見る「越原ハナノキ自生地」が天然記念物に指定されるまでの経緯
年月日 文書番号 内要
大正09.05.28 学第768号 ハナノキを保護しょうとする気運が高まり、加茂郡役所第一課長から東白川村長村雲英一郎に対し、越原に自生するハナノキの現状とそれを保護しようとする区域の土地を調査して報告すること及びハナノキの葉の付いた枝を県庁に送付するよう指示があった。
09.06.15 東第1,794号 村長は、直ちにハナノキの調査を行い、その現状等を加茂郡長に速報した。
09.06.18 村長は、ハナノキの葉の付いたままの枝5本を県庁内史蹟名勝天然記念物調査会に郵送した。
09.07.19 東第1,794号の2 村長は、ハナノキの現状等について、さらに詳しく加茂郡長に報告した。
09.11.24 学第1,799号 加茂郡役所第一課長から村長に村し、ハナノキは、「本邦中縣下東美濃ノミニ自生スルモノニシテ現今世界二其ノ種類ナキ珍木タリ之レ本縣ノ誇トスルトコロト仝時二其ノ自生地ノ名譽卜言ハサルヘカラス依テ之カ調査ヲ爲シ以テ其ノ保存ヲ計ルハ目下緊急ノ事ト存候條其ノ自生卜将タ移植タルトヲ問ハス苟モ花ノ木ト認ムルハ町村吏員ハ勿論小學校教員等ヲシテ精密調査シ」報告するよう再度指示があった。
09.12.02 学第6,286号 岐阜県内務部から東白川村役場に対し、岐阜県史蹟名勝天然記念物調査会委員波磨実太郎がハナノキに関して実地に調査を行い、その後越原小学校長馬場敬一郎に分布図の作成を依頼したが一部になお不明な点があるので至急調査するよう指示があった。
09.12.04 東第3,812号 村長は、越原区長にハナノキの調査を指示した。
09.12.07 東第3,868号 村長は、越原小学校長馬場敬一郎にハナノキ分布図の不明箇所の再調査を指示した。
大正10.01.10 越発第132号 越原小学校長馬場敬一郎は、ハナノキ分布図について村長に回答した。
越原区長は、調査事項を村長に報告した。
10.01.14 東第3,868号 村は、岐阜県内務部に村し、ハナノキに関する調査報告を行った。
10.05.上旬 内務大臣官房地理課臨時嘱託岐阜県史蹟名勝天然記念物調査会委員波磨実太郎がハナノキ自生地の実地調査を行った。
10.10.17 学第1,280号 加茂郡役所第一課長から村長に対し、越原ハナノキ自生地を史蹟名勝天然記念物保存法第一条の規定により、天然記念物に指定する見込みであり、その所有者に指定に関する支障の有無を確めるよう指示があった。
10.10.19 東第2,960号 村長は、ハナノキ自生地の所有者安江信太郎、熊沢鈴吉、三浦ゲンに対し、次のような文書をもって天然記念物指定に関する協力を求めた。
   「花ノ木指定ニ關スル件
 左記地域ヲ花ノ木ノ自生地トシ史蹟名勝天然記念物保存法第一條ニヨリ天然記念物ニ指(定の字脱落か)スル見込ノ旨ヲ以テ支障ノ有無内務省ヨリ照會ノ旨本縣ヨリ本郡役(所の字脱落か)へ申越候處花ノ木ハ我國ニテハ本縣ノミニ自生スル學界ノ珍木ニシテ之が指定ハり其町村ノ名譽ナルノミナラズ本縣ノ誇リトスルモノニ有之候間所有者ハ進ンデ之ガ指定ヲ望マル、様致度候各位ニハ無論御異議コレナクトハ存ジ候へ共支障ノ有無大至急御回答被下度此段及照會候」(以下省略)
10.10.21 各所有者から異議がない旨、回答があった。
10.10.23 東第2,960号 村長代理助役は、加茂郡長あてハナノキ自生地の指定に関し、支障がない旨を報告した。
大正11.10.12 内務省告示第270号 越原ハナノキ自生地が天然記念物に指定された。
11.11.07 学第1,497号 加茂郡役所第一課長から村長あて越原ハナノキ自生地の管理者を東白川村とする見込みであることの通知があった。
11.11.30 学第1,555号 加茂郡役所第一課長から村長に対し、天然記念物の標識、制札、境界標を建てるよう指示があった。
11.12.05 東第3,273号 村は、天然記念物越原ハナノキ自生地の所有者安江信太郎ほか2人に対し、天然記念物として指定されたこと及び「公益上必要止ヲ得サル場合ノ外ノ変更ヲ許可セサルコトヲ要ス」旨の通知をした。
大正12.03.09 東第830号 村長は、八百津警察分署長に対し、越原ハナノキ自生地が天然記念物として指定された旨通知した。

越原ハナノキ自生地見取図

史蹟名勝天然記念物保存法(大正8年法律第44號)
史蹟名勝天然記念物保存法(大正8年法律第44號)
第1條  本法ヲ適用スヘキ史蹟名勝天然記念物ハ内務大臣之ヲ指定ス
 前項ノ指定以前二於テ必要アルトキハ地方長官ハ假ニ之ヲ指定スルコトヲ得
第2條  史蹟名勝天然記念物ノ調査ニ關シ必要アルトキハ指定ノ前後ヲ問ハス當該吏員ハ其ノ土地又ハ隣接地ニ立入リ土地ノ發掘障碍物ノ撤去其ノ他調査ニ必要ナル行為ヲナスコトヲ得
第3條  史蹟名勝天然記念物ニ關シ其ノ現状ヲ變更シ又ハ其ノ保存ニ影響ヲ及ホスヘキ行為ヲ為サムトスルトキハ地方長官ノ許可ヲ受クヘシ
第4條  内務大臣ハ史蹟名勝天然記念物ノ保存ニ關シ地域ヲ定メテ一定ノ行為ヲ禁止若ハ制限シ又ハ必要ナル施設ヲ命スルコトヲ得
 前項ノ命令若ハ處分又ハ第2條ノ規定ニ依ル行為ノ為メ損害ヲ被リタル私人ニ對シテハ命令ノ定ムル所ニ依リ政府之ヲ補償ス
第5條  内務大臣ハ地方公共團体ヲ指定シテ史蹟名勝天然記念物ノ管理ヲ為サシムルコトヲ得
 前項ノ管理ニ要スル費用ハ當該公共團体ノ負擔トス
 國庫ハ前項ノ費用ニ對シ其ノ1部ヲ補助スルコトヲ得
第6條  第3條ノ規定ニ違反シ第4條第1項ノ規定ニ依ル命令ニ違反シタル者ハ6月以下ノ禁錮若ハ又ハ百圓以下ノ罰金若ハ科料ニ處ス
附則 本法施行ニ關シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
本法施行ノ期日ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
 (この法律は、大正8年(1919)5月31日勅令第261号をもって同年6月1日から施行されたが、昭和25年(1950)8月29日文化財保護法(昭和25年法律第214号)の施行に伴い廃止された。)

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