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東白川村の「廃仏毀釈」

五、廃寺廃仏の断行

常楽寺の最後
(村雲蔵多『明治三年見聞録』から-大要-)

 当村檀那寺安泰(あんたい)山常楽寺(じょうらくじ)も、檀家一同が自葬を願った以上は寺が不要になったので帰農し、従来の田地で百姓をされるそうです。裃(かみしも)、帯刀、苗字を許されたので、家名を安田屋(やすだや)とし、俗名を安江良左衛門と呼ぶことにされました。

 10月27日から29日まで、仏具など不用の品を競り売りいたしました。方丈の方一帯は130両で神戸弥介(かんべやすけ)が買い取りました。釣鐘堂は鐘ともども百両余りで笠松辺の坊主が来て買い取りました。この堂は樫の丸柱造りで立派なものでした。

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