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東白川村の「廃仏毀釈」

七、嵐のあと

葬儀のことなど
 人が死んだ場合、従来は仏式によって葬儀が営まれていました。しかし、廃仏毀釈後の葬儀はすべて神式によって行うこととなったのです。

 では、どのような姿で執行されたのでしょう。

 奥書に「慶応元年七月、美濃守源朝長躬行」とある『喪儀畧』という文書(五加柏本安江益良氏所蔵)には、人の死に対する心構えや具体的な扱いが細かく記されています。
父母や祖父母などが病が重くて遂に死に至ったときは、その家の主人または葬儀のことを扱う人は、衣服を改め、手を洗い、口をすすいで、病床に入り、慎んで死者の名を御霊代(みたましろ)に墨書する。そして、死者に向かってその霊を御霊代に遷(うつ)すことをひそかに申しあげる。

これが終わってから御霊代に覆いを掛け、別室にこもを敷いて、南向きまたは東向きに安置し、朝夕にお供え物をし、夜は明かりを点す。また、親しい人たちからの贈物も供える。

死者の沐浴は夜に行う。12時を過ぎてから沐浴させ、爪を切り、整髪をする。それが終わったら新しい着物を着せ、枕を東にして寝かす。顔は北に向かわせる。頭に白の麻布を覆う。夏は涼しいところに寝かせ、大きい容器に酢を入れて近くに置き、遺骸を損なわないようにする。

あらかじめ、庭の木陰などに大きな穴を掘っておき、爪、髪の毛、手ぬぐい、整髪に使った用具、沐浴に使った桶や盥(たらい)など死者に使った物はすべてその穴に入れて埋める。

24時間ほど過ぎたら、親族は共に死者の部屋に入り、訣別して、棺の中に入帷子(いれかたびら)をのべ、遺骸を夜着や寝具に包んで収める。死者が生前、愛用していたもの、常に身の回りに置いていたもの、身に付けていたものなどは、ともに棺に入れる。それが終わったら、静かに蓋(ふた)をし、合わせ目にチャン(松脂(まつやに)などを原料とする濃褐色の防腐用塗料)を塗り、覆いを掛けて、葬式まで死体を安置しておく喪屋(もや)に移し、白米、水、塩を供えて拝む。

墓地を開くときは、まず土地の神を祀らなければならない。けがれに触れていない人がその土地を祓い清め、こもを敷き、神座を設け、くさぐさのお供えをし、祝詞をあげて祭る。しばらくして、供え物を下ろしてから、穴を掘り、棺を入れる外箱を埋め、炭の粉、または灰を入れて、その周囲をつき固める。場合にによっては穴を掘るだけでもよい。ただし、先祖の墓地に併せて葬る場合は土地の祀りは行わない。

柩(ひつぎ)は夜、門前に庭火をたいて送りだす。葬列は、松明、白杖(すわえ)、銘旗、柩と続く。喪主以下柩を送るものは、みな徒歩である。喪に服さなくてもよい人々はその次にしたがう。(病人、老人、その他特別の場合は馬車を用いてもよい。)柩を送り出した後は、留守の者が竹箒で家の中を払う。

さて、墓地ではあらかじめ穴の四隅にかがり火をたき、こもを敷き、柩が到着したならば台の上に据え、むしろを敷き、お供え物をする。葬主はまず手を洗い、口を濯(すす)ぎ、おのおの拝んだ後、お供え物をおろし、ついで柩を穴におさめる。(吊り下げた縄が抜き取れないときは切り取ってよい。)

柩の周りには炭末または灰を入れてつきならし、蓋をし、死者の籍や履歴、業績などを書いた墓誌を埋め、少し高く土をつき固める。その上に墓標を立て、芝垣を巡らし、竹または細い木の柱を建てて棚を造り、へぎ板、杉の葉などで屋根を葺き、風雪に備える。すべてが終わったら、みんなで墓を拝んで帰る。(山家などでは、重い石を塚の上に置いて獣の害を避ける。)

埋葬の帰り道、谷川にあらかじめ定めておいた場所でそれぞれ榊(さかき)で身を祓い清める。

家に帰ったら、みな御霊代を拝む。

埋葬が終わったら、門を閉じて、礼服を着け、人に会わないで、50日間を謹んで過ごす。この場合、伯叔父母、兄弟姉妹、子、甥姪などは30日である。しかし、仕官している人は、その他の定めがあり、街中も村ざともそれぞれの風俗があるので、その重い形式に従ってよい。ただ神職は定められた形式のままであってほしい。

もし、喪舎(葬式まで遺体を安置しておくところ。もがりのみや)のある人は野辺から直ちにそれに入って忌みこもりをし、日数が過ぎたら祓い清め、清潔な衣類を着けて家に帰る。(昔の人は、中陰(仏教で人の死後四十九日の称)は山寺などにこもって、かりそめにも家に帰ることはなかった。けれどもそれは裕福な家の人のことで、おおかたは家にこもって日を過ごしたものである。)

およそ家に不幸があったならば、直ちに知識経験のある人を選び、執事として喪のことを任せる。また、書記を定めて、弔い客の姓名、贈り物、葬儀などの諸道具、会葬者の氏名、使用人の数、金銭の出入り、物の値段に至るまで、つぶさに記録し、故人の姓名、死亡年月日、本籍、出身地、父母、年齢、出生年月日、続柄なども詳しく載せて、後に備える。(裕福なものは別に出納係を設ける。)親戚や知人の家に不幸があったときは、早く弔いに行ってさまざまに手助けし、その家が貧しいときは、金銭や人手間なども分に従って助け、葬儀が滞りなくできるように努める。
 『喪儀畧』には、まず大要このように人の死についての心構えや心を込めた取扱いについて書かれています。次いで、葬儀に用いる用具を掲げ、その材料、寸法、用い方などを詳しく説明しています。ちなみに用具の名称だけ列記してみましょう。
霊璽(みたましろ)、(おおい)、(うわおおい)、高案(つくえ)、内衣(うちぎ)、襯衣(はだぎ)、布帶(おび)、褌(たふさき)、衾褥(ふすましとね)、野草衣(いれかたびら)、槨(おおどこ)、棺(ひつぎ)、枕(まくら)、充嚢(そえもの)、(ひつぎのこし)、(こしのだい)、銘旌(はた)、傘(からかさ)、白杖(すわえ)、竹杖(つえ)、墓誌(はかじるし)、墓標(かりのしるし)、卓(つくえ)、松明(たいまつ)、韓櫃(からひつ)、幸木(さかき)、
 そのあと、葬式の具体的な方式について説明しています。

 いずれにしても、現在の葬儀の風俗と比べた時、質素ではあったが、心を込めた喪の取り扱いが行われたということを伺うことができます。

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