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東白川村の「廃仏毀釈」

七、嵐のあと

仏名を俗名に
(村雲蔵多『明治三年見聞録』から-大要-)

 仏道を廃してからは、法名などを書いた位牌を焼き捨てたり、墓に埋めたり、あるいは他に売った人もあるように聞きます。

 仏道は世間の浮宝と見え飾り立てます。位牌なども大きいものがよく、漆を塗り、金箔をかけたものをよしとします。だから漆は汚いものです。これに本名も記さず、外国から渡ってきた仏法の戒名を書き、それだけを敬うことは、わが国の掟にも背きます。大体仏道というものは不実の法です。その次第は詳しく語るに及びません。

 今、私が思ってみますと、歴々の家では位牌の裏に俗称を書きましたが、中から下(げ)の者はそういうこともなく、系図もありませんから、仏名をやめて俗名に改めようとしても、古い祖先の名は分からず、みんな戸惑いました。無理をして新しい名を作り、御霊を祭り替えた人もあります。

 これをみても仏道の不実を知ることができます。表に戒名を記しても裏に俗名を書いておけば、今になって坊主をこのように悪く言わなくてもよかったでしょうに。おしなべて私たちも不明でした。

 今、神葬を行うについて、これまでの分も残さず改めよという君(藩主)の仰せなので桜の木で笏(しゃく)の形を作り、それに俗名や実名を書き、裏には死亡年月日、何代目、父の名、続柄などを書きました。これで、何百年経ってもその名はその家に残り、祖先からのことが明らかになります。これこそ仏道の左道と違い、神国の真道で、神葬祭のお陰と思います。

 10月16日、尾越(おこし)の房平(ふさへい)を頼んで、押場(おしば)から桜の木を貰い、御霊代にする笏の形を作ってもらいました。そして、竹で灯台と花立ても作ってもらいました。

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